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翻訳は、言葉と文化の架け橋。I love you を訳すのは難しい。

WOVN MAGAZINE

ここにこんな英文があります。皆さんならどうやって訳しますか?

I love you.

中学生で学ぶような、すごく単純な英語の文章ですよね。それぞれの単語の意味と主語・動詞の関係を踏まえると、「私はあなたを愛しています」になりますよね。とても単純です。

本当かどうかもわからない、でも不思議でちょっとだけ考えさせられる逸話があります。当時英語教師をしていた夏目漱石。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなった、あの小説家です。生徒が"I love you"を「我君を愛す」と翻訳した時に、夏目漱石はこう言いました。「日本人はそういったことは言わない。『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ」と。

今の言葉に訳してみると、「私はあなたを愛しています」「愛してる」とかになると思います。邦楽の歌詞でもよく聞くような言葉ですが、皆さんは「愛してる」って日常でいいますか。日常でなくても、昔に言ったことはありますか。これからの未来でも、愛を伝えたいと思った時に「愛してる」って言うと思いますか。

「愛してる」って日本人は本当に言わないのでしょうか。事実はどうかはわかりません。でも、ここに翻訳の難しさがあります。

"I love you"を単語と文法だけに注目して英語に変換するのであれば、すごく簡単にできます。そう考えると、大概の英文は中学・高校の時に学んだ英語知識を使えば、英語にできてしまうと思います。ただし、「英語に変換する」と「翻訳する」は、大きく違うのです。

なぜ夏目漱石は「日本人はそういったことは言わない。『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ」と言ったのでしょうか。なぜ"I love you"の元の言葉には登場しない「月」の話がでてくるのでしょうか。

一言でいうと、文化の違いだと思います。

文化というと、具体的なイメージがつきにくいかもしれないですが、言語的特徴、思想、衣食住文化、宗教・歴史、商習慣、デザイン等の好き嫌いなど、いろんな要素が詰まっています。そして、全ての要素が翻訳する差異の機微に影響しています。

言語間を行き来するときには、辞書や文法書に載っているような言葉の表面だけをすくうだけでは十分でないのです。例えば、日本語であれば、日本語はどのような言語の特徴があり、日本で日本語を話して育った人が、どのような思考や文化を持って日本語を運用するか、そこまで考えを熟成させて、慎重に言葉を選ばないといけません。

夏目漱石が、"I love you"を「月が綺麗ですね」と訳すように言ったのは、日本語のダイレクトに表現しない、奥ゆかしさを踏まえた上でのことです。美しい物を共に眺めて心を通わすことで愛を表現する、これが日本語や日本文化の特徴であって、それを言葉に反映すべきだ、と夏目漱石は示したかったのだと思います。

"I love you"から「月が綺麗ですね」だと、離れすぎている印象で、どうやって文化を翻訳に反映しているかがわかりにくい印象かもしれないので、いくつか他の例も紹介してみます。

家族が年越しについて話している場面で「过年吃饺子吧」と子どもが言ったとします。中国語で「年越しには餃子を食べましょう」という意味です。中国では年越しに餃子や湯圓(もち米の粉で作った丸く小さいお団子)を食べるのが一般的です。しかし、日本では餃子を年越しに食べるのが一般的ではないため、それを考慮しつつ、日本語文化で育った人が違和感なく「年越しっぽいなぁ」と感じるためには、「餃子」ではなく「年越しにはそばを食べましょう」の方が、よりイメージが付きやすいかもしれません。これも、異文化を考慮した翻訳といえます。

"Sister Act"という言葉を聞いた事がありますか。映画のタイトルです。"sister"は「修道院」、"act"は「演目」「〇〇のフリ」、"sister act"は熟語で「姉妹だけで構成された女性シンガーグループ」を指すようです。この映画の内容は、事件を目撃して組織に追われている女性歌手が、修道院に匿われ、ある時から聖歌隊の指揮を任され、聖歌隊を成長させていく、というものです。つまり、「姉妹のシンガーグループ」→「修道女のシンガーグループ」→「修道女のフリ」という風に言葉遊びになっている訳です。

この映画の邦題は『天使にラブ・ソングを…』です。原題の英語だけをそのまま訳そうとすると「修道女の演目」のような日本語になります。「修道女」という言葉を聞いても、日本文化で育った人は、「修道女」という言葉自体が馴染みが薄かったり、カトリックの修道服の見た目がイメージできなかったり、映画の内容があまり鮮明に想像できないかもしれません。

このように、原文をそのまま訳すと原題の駄洒落が持つ言葉のイメージ、"sister"という言葉を聞いて英語話者が想起する修道女の姿など、立体性が日本語観衆へ届かないと判断したのでしょう。映画のイメージがキャッチーにコンパクトに届くように日本語に訳して、『天使にラブ・ソングを…』となったのでしょう。

駄洒落が大きく影響しているので、言語的要素をより鑑みた翻訳かもしれませんが、翻訳先の言語話者にイメージが浮かばない、心に刺さらないのであれば、何かを引き算する、一般化させたり原文を直訳せずに別のわかりやすい言葉へ入れ替えたりする、そういう作業も翻訳なのですね。

異文化要素に注釈を入れたり、その要素が必要なければ一般化したり引き算したり、文化に合わせて別のものに置換したり。翻訳は単純に文字だけを見て、教科書的に言葉を変換する作業ではないのですね。両方の文化を立体的に眺めてじっくり考えて、言葉に反映させないといけないのですね。異文化への理解だけでなく、それを、文字の量を気にしながら時にはコンパクトに、言葉に変換しないといけないのです。言葉の能力、表現力もすごく高くないといけないですね。難しい作業です。

翻訳というのは、こんな風に、文字の変換だけでなく、思想や文化までも一緒に運んで、その言語の話者へ届けないといけない、そんな難しい作業なのです。翻訳者は、2つの言語と文化の架け橋なのですね。他の言語から日本語に訳されたものに遭遇したとき、日本語から他の言語に訳されたものに遭遇したとき、元の文章はどんなもので、日本語話者やもう一方の言語の思想・文化がどのようにその反映されているか、ぜひ思いを馳せてみてください。すごく楽しいと思いますよ。

(ダンテ高橋)

参考:
https://shiomilp.hateblo.jp/entry/2016/07/08/012959
http://released.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

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